腕時計の世界には、
派手な名前や流行とは距離を置きながら、
その役割と機構だけで語り継がれてきたブランドがあります。
時にそれは、
広告ではなく、
選ばれた相手の立場によって名を残すこともある。
VULCAIN(ヴァルカン)も、そのひとつです。
「大統領のための時計」と呼ばれながらも、
権威や記念性を前面に出すことはなく、
ただ黙々と
時間を知らせ、区切り、支えるための時計を作り続けてきたブランド。
「Cricket=アラーム時計」という印象が先行しがちですが、
じっくり向き合ってみると、
VULCAINが積み上げてきたのは
流行でも、神話でもなく、
“時計をどう使うべきか”という思想そのものだったことが見えてきます。
いま改めてVULCAINを取り上げたいと思った理由は、
復刻や懐古ではありません。
このブランドの歩みが、
責任ある立場で時間と向き合うという感覚において、
現代の腕時計の価値観とも
静かに重なってきたからです。
目次
VULCAINというブランド
名前よりも、機構で記憶されてきたメーカー
VULCAINは、
いわゆる「分かりやすい名声」を積み上げてきたブランドではありません。
ラグジュアリー性や装飾性で語られるよりも、
時計の中で何が起きているか
その一点で評価されてきたメーカーです。
Cricketという強烈なアイコンがある一方で、
VULCAINの本質は、
アラーム以前から一貫しています。
それは、
「腕時計を、きちんと“使われる道具”として成立させること」。
なぜVULCAINは“通好み”になったのか
VULCAINは、
ブランドイメージを先に作ることを選びませんでした。
代わりに選んだのは、
・技術的に意味のある機構
・現実的に使われる前提の設計
・過剰にならない表現
この積み重ねです。
その結果、
時計史の表舞台では語られにくい一方で、
時計をよく知る層ほど名前を挙げるブランドになっていきました。

スイスで育った「工業」と「工房」のあいだ
スイス時計産業の本質は「分業」にある
スイス時計というと、
“職人の手仕事”というイメージが先行しがちです。
しかし実際には、
スイスはかなり早い段階から
時計を工業として成立させてきた国でした。
・エボーシュ(ムーブメントの基礎)
・ケース
・ダイヤル
・針
それぞれを専門工房が担い、
最終的にひとつの時計として完成させる。
VULCAINは、
この分業構造の中で
「ムーブメントと機構の側」に重心を置いたブランドです。
工房的すぎず、工業的すぎない立ち位置
VULCAINの面白さは、
完全なマニュファクチュール志向でもなく、
大量生産メーカーでもない点にあります。
・工房的な柔軟さ
・工業的な再現性
この両方を行き来しながら、
「使える複雑機構」を追求してきました。
Cricketが象徴的ですが、
アラームという複雑機構を
量産レベルで安定させたこと自体、
このバランス感覚がなければ成立しません。
Cricketが特別な理由
「世界初の機械式アラーム腕時計」が生まれた背景
Cricketは、
機械式腕時計にアラーム機構を搭載した
歴史的なモデルとして知られています。
アラーム音がコオロギ(Cricket)の鳴き声に似ていること、
そして歴代のアメリカ大統領に愛用されたことで
「大統領の時計」と呼ばれるようになったことも有名です。
ただし、Cricketを
“面白いギミック”として見ると、少し本質を外します。
当時の腕時計においてアラームは、
時間を飾るための機能ではなく、
生活の中で時間を「使う」ための道具でした。
時間を知るだけでなく、
時間によって行動する。
Cricketは、その一歩先を形にした時計です。
Manufactureという言葉の重み
VULCAINにとっての「マニュファクチュール」
近年、
“Manufacture”という言葉は
マーケティング用語としても多用されています。
しかしVULCAINの場合、
この言葉の意味は少し違います。
VULCAINが自社で担ってきたのは、
単に「作っている」という事実ではなく、
・機構を理解し
・改良し
・継続して供給する責任
までを含めた製造体制です。

ル・ロックル移転が示した方向性
2002年、
VULCAINは拠点をル・ロックルへ移します。
この選択は、
ブランドを拡大させるためではなく、
技術的な核を整理するためのものでした。
そして2022年、
自社製アラームキャリバーV10とともに本格復活。
重要なのは、
復活の象徴に選ばれたのが
もっとも難しく、もっともVULCAINらしい
Cricketだったという点です。

なぜ「中身から戻った」のか
もし話題性を優先するなら、
デザイン復刻や限定モデルから始める方法もあったはずです。
しかしVULCAINは、
最初に「機構」を戻しました。
これは、
このブランドが何者かを
自分たちでよく分かっている証拠です。
Manufactureという言葉を
肩書きとして使うのではなく、
責任として背負う。
その姿勢が、
いまのVULCAINを支えています。
「大統領のための時計」と呼ばれる理由
VULCAINを語るとき、
避けて通れない言葉があります。
それが
“The Presidents’ Watch”
──大統領のための時計。
これは後年につくられたキャッチコピーではありません。
実際の歴史と、実際の選択によって、
自然に定着していった呼び名です。

1950年代、静かに始まった関係
VULCAINとアメリカ大統領の関係は、
1950年代初頭にさかのぼります。
1951年、
ドワイト・D・アイゼンハワー。
第二次世界大戦で連合軍最高司令官を務め、
その後アメリカ大統領となった人物です。
彼が選んだのが、
VULCAINの Cricket でした。
当時のCricketは、
世界初の実用的な機械式アラームウォッチとして知られ始めた存在。
・電池に頼らない
・確実に鳴る
・身につけて使える
この「確実性」は、
戦争と指揮を経験してきた人物にとって、
極めて合理的な選択だったと考えられます。
アラームという機構が持つ意味

Cricketが特別だった理由は、
単に珍しい機構を載せていたからではありません。
アラームは、
時間を“見る”機構ではなく、
時間に“介入する”機構です。
・会議の開始
・判断のタイミング
・予定の区切り
音によって、
時間が強制的に意識に割り込んでくる。
これは、
自分の都合で時間を止められない立場の人間にとって、
非常に実用的な道具でした。
Cricketは、
権威を誇示する時計ではなく、
時間を管理するための時計だった。
この性格が、
大統領という立場と自然に重なっていきます。
「贈られる時計」になったCricket

1960年代に入ると、
Cricketは
アメリカ大統領就任時の贈答品として
選ばれるようになります。
1964年、
リンドン・ジョンソン。
彼もまた、
Cricketを身につけた大統領の一人でした。
ここで重要なのは、
Cricketが「高級だから」選ばれたのではない、という点です。
・派手すぎない
・意味が分かる人には分かる
・実際に使える
Cricketは、
象徴性と実用性のバランスが取れた時計でした。
だからこそ、
公の場に立つ人物への贈り物として成立した。
2009年、オバマ大統領と現代のCricket
この系譜は、
現代にも引き継がれます。
2009年、
バラク・オバマ。
就任時、
彼に贈られた時計のひとつが
VULCAIN Cricket でした。
ここで興味深いのは、
クォーツ全盛の時代においても、
あえて機械式アラームが選ばれたこと。
これは懐古趣味ではありません。
Cricketが持つ
「時間をどう扱うか」という思想が、
時代を超えて理解されていた証拠です。

なぜVULCAINだったのか
VULCAINは、
大統領と契約を結んだわけでも、
公式サプライヤーだったわけでもありません。
それでも選ばれ続けた。
理由は明確です。
VULCAINは一貫して、
・過剰に語らない
・機構を誇示しない
・使う人の立場を想定する
時計を作ってきたブランドだからです。
Manufactureという言葉の重みとは、
自社で作れるかどうか、だけではありません。
誰のために、どんな時間を支えるのか
そこまで含めて設計できているか。
Cricketは、
その問いに最初から向き合っていた時計でした。
「権威」ではなく「責任」の時計
VULCAINが
「大統領のための時計」と呼ばれる理由は、
権力や地位の象徴になったからではありません。
むしろその逆です。
・時間に追われる立場
・判断を誤れない立場
・一日の重みが違う立場
そうした人間にとって、
確実に知らせてくれる時計であること。
それが、
Cricketが選ばれ続けた最大の理由です。
VULCAINは、
偉く見せる時計ではなく、
責任を背負う人のための道具を作ってきた。
その積み重ねが、
いつの間にか
「大統領のための時計」という呼び名に変わっていった。
それだけの話であり、
それ以上の理由は、
実は必要なかったのかもしれません。
代表モデルに見るVULCAINの輪郭
Cricket

VULCAINを語るとき、
このモデルを避けて通ることはできません。
Cricket(クリケット)は、
単なる代表作ではなく、
このブランドの存在理由そのものを形にした時計です。
「目覚まし腕時計」という、異端であり必然
Cricketが誕生したのは1947年。
まだ腕時計が「時間を見る道具」として成熟しきっていなかった時代に、
VULCAINはあえて“音を鳴らす腕時計”という領域に踏み込みました。
当時、
・アラームは置時計のもの
・腕時計は静かであるべき
という感覚が一般的だった中で、
Cricketはその前提を裏切ります。
しかし、これは奇をてらった発想ではありません。
戦後の社会では、
・移動が増え
・時間管理の重要性が高まり
・「確実に気づける合図」が求められていた
Cricketは、
腕時計が“能動的に人に働きかける道具”になる可能性を、
いち早く現実のものにしました。
機構が先にあり、デザインは後からついてきた

Cricketの最大の特徴は、
外見よりも先に、内部機構の完成度があった点です。
アラーム用ゼンマイを独立して持ち、
ハンマーが共鳴板を叩くことで、
小さなケースの中からはっきりとした音を生み出す。
これは、
・繊細
・複雑
・調整が難しい
という条件がすべて揃う構造でした。
にもかかわらず、
VULCAINはこの機構を量産レベルまで引き上げた。
ここに、
VULCAINが「工房的なひらめき」だけでなく、
工業としての成立を重視していたブランドであることが表れています。
「大統領の時計」になった理由

Cricketが歴史に名を刻んだ大きな理由のひとつが、
アメリカ大統領たちに愛用された事実です。
ハリー・トルーマンをはじめ、
複数の大統領がCricketを身につけていたことから、
このモデルは
“The President’s Watch” とも呼ばれるようになります。
重要なのは、
これがラグジュアリー性やステータス性によるものではない、という点です。
・確実に時間を知らせる
・会議やスケジュールを逃さない
・実用性が高い
Cricketは、
立場の重い人間ほど必要とする機能を、
静かに満たしていました。
Cricketが示した、VULCAINの姿勢
Cricketを通して見えてくるのは、
VULCAINというブランドの一貫した姿勢です。
・流行を追わない
・分かりやすい派手さに寄らない
・しかし、必要とされる機能は妥協しない
Cricketは、
“売れるから作られた時計”ではありません。
必要だったから、作られた時計です。
だからこそ、
70年以上経った今も、
Cricketは「過去の名作」ではなく、
VULCAINを定義する現在進行形の存在であり続けています。
Chronograph 1970’s

Chronograph 1970’sは、
VULCAINが**「実用機構をどう時代に適応させてきたか」**を示すモデルです。
70年代らしいケースラインやカラーリングは一見すると主張が強い。
しかし、その中身はあくまで堅実。
VULCAINはここでも、
クロノグラフを“魅せる複雑機構”ではなく、
測るための道具として捉えています。
Cricketが「音」で時間を知らせたなら、
Chronographは「操作」で時間を刻む。
表現方法は違えど、
時間を管理するための時計という思想は一貫しています。
Skindiver

Skindiverは、
VULCAINがアラームやクロノグラフだけのブランドではないことを
静かに証明する存在です。
過度な防水競争やスペック誇示はなく、
あくまで“潜れる日常時計”。
このモデルから感じられるのは、
VULCAINがダイバーズウォッチに対しても
必要十分という距離感を大切にしていることです。
Cricketが陸の時間管理なら、
Skindiverは水辺の実用。
どちらも、
過剰にならない設計が共通しています。
Monopusher

Monopusherは、
VULCAINの技術志向の静かな表明とも言えるモデルです。
ワンプッシャーという構造は、
見た目以上に設計難度が高い。
それでもVULCAINは、
あえてこの形式を選びます。
理由は明確で、
操作の流れが直感的だから。
Cricketが
「聞けば分かる時計」だとすれば、
Monopusherは
「触れば分かる時計」。
機構に対する敬意と、
使い手への配慮が同時に成立しています。
Grand Prix

Grand Prixは、
VULCAINの中ではやや異色に見える存在かもしれません。
しかし実際には、
ブランドのもう一つの側面──
造形とバランスへの感覚を示しています。
スポーティでありながら、
どこか抑制が効いている。
これは、
機構を主役にしてきたブランドだからこそ生まれる美意識です。
主張しすぎない造形が、
VULCAINらしさとして成立しているモデルです。
Cricketが「核」で、他モデルが「文脈」
これらのモデルを並べて見えてくるのは、
VULCAINが一度も
Cricketの思想から離れていないという事実です。
・音で知らせる
・操作で測る
・水辺で使う
・構造を楽しむ
表現は違っても、
すべては
時間を、確実に人へ届けるための時計。
Cricketがブランドの核だとすれば、
他のモデルはその輪郭を描く存在。
VULCAINは、
多作なブランドではありません。
しかし、
一本一本が同じ思想の延長線上にある。
そこに、このブランドの強さがあります。

最後に - VULCAINという選択について
VULCAINは、
分かりやすい派手さで選ばれるブランドではありません。
しかし、
時計を「道具」として見つめてきた人ほど、
このブランドの積み重ねに納得するはずです。
・なぜこの機構が必要だったのか
・なぜこの形に落ち着いたのか
・なぜ今も語られているのか
その問いに、
静かに答え続けてきたブランド。
VULCAINは、
使うほどに輪郭がはっきりしてくる、
そんな時計メーカーだと思います。
※本記事は、HºM'S" WatchStore バイヤーチームによる読みものコンテンツです。
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